震災の後、実家は。

隣町にあるアタシの実家は、ほぼ半壊でした。
屋根瓦が落ち、土壁が崩れ、
階段の一段一段に隙間ができて、
あちこちから地面の土と明るい外の光が見えていました。

ライフラインは止まってしまい、
中でも水道の復旧が遅く、ずっと給水車頼りの毎日。
幸いにも近くに銭湯があったから良かったのですが、
トイレに水を流すのにもケチケチしなければなりませんでした。

ちなみに当時アタシが住んでいた魔の旧宅のご近所では
長期間、都市ガスが止まってしまい、
近くに銭湯もなかったので、みなさんとても困っておられました。
あの時だけは、プロパンガスで良かった、と思ったものです。
銭湯に行くのに車かバスに乗らなければならなかったので、
小さな子ども連れや年輩の方、車のない方は本当に不便だったと思います。

現在の実家は、家の修理と共に、
使い物にならなくなったお風呂や洗面所、
それに加えてキッチンもリフォームしたために、すっかりキレイになりました。
しかし、定年間近だった両親にとって、
突然の大出費は完全な想定外だったハズ。
人生設計狂ったんじゃないかなぁ。
もちろん、家族や家を失った方に比べたら、幸せなのですが。

父は、驚くほど多趣味でマニアックな人で、
6畳の自室は棚という棚、その中にギッシリつまったモノというモノに
完全に包囲されて暮らしていました。
パソコンやオーディオセット、ゲーム機や書籍などなど、重そうなものもたくさん。
震災時、それらのモノが大量に落下し、倒れ、襲いかかり、命からがら脱出し、
「真冬で、あれだけ毛布や布団をかぶってなかったら、大ケガしてたか死んでたかも・・・」と
言っていたのですが、反省の色なし!
「あんな大地震には、生きている間にはもう、あうはずがない」と豪語し、
またしても激しく棚とモノ、モノ、モノに囲まれて暮らしています。

昨日は、小学校の「震災避難 出迎え訓練」でした。
万一の大災害の時に、家族の誰が子どもを迎えに行くのか、
どうしても行けない場合は、ご近所のどなたにお願いするのか。
そうしたことを家族で確認し、ご近所の方にもお願いする大切な一日です。