大震災の朝、家は。

阪神淡路大震災の朝。
前の家、魔の旧宅の2階 和室で目をさますと、
電灯と下がっている紐が激しく揺れているのが見えて、
「落ちてくるのでは?」ということに、まず驚きました。

2歳の長女と2ヵ月の次女を両隣に寝かせて、
真ん中に挟まれるカタチで寝ていたアタシ。
同じ部屋で寝ていた旦那がすぐに、三人に覆いかぶさってくれたのがわかりました。

・・・後々の報道で、例えば妻子をほったらかして夫が自分だけ屋外に逃げ出したとか、
この一瞬の行動や言動が問題になり、離婚などに至った夫婦も少なからずいたとか。

かなり激しい地震だということはわかりましたが、
わが家ではモノが倒れるわけでもなく、陶器が数点割れたぐらい。
なので、近隣の市町の大惨事がなかなかわからなかったんです。

停電で、テレビはつかないし。
ラジオも電池切れ。
でも、なんだか胸騒ぎがしたんでしょうね、しばらくしてから
旦那がわざわざ外のガレージの車まで行って、カーラジオでニュースを聞いてきたんです。
その時点では、まだまだあれほどの大地震だという認識はメディアにもなかったのですが、
とにかくすごいことになっているらしい、ということを知り、そこで初めて夫婦で驚きました。

近くの家電店が開店するのを待って、電池を買ってきてラジオをつけました。
電池を買いに来た人はたくさんいたようなので、
遅くに行った人は売り切れていたのではないでしょうか。

寒い中、暖房類は何も使えず、赤ん坊と幼児を抱えていたので、
アタシは長い間、布団に入ったままラジオを聴いていました。

起きだしても、電子レンジもオーブントースターも炊飯器も使えないし、
冷蔵庫の電気もとまっている。
幸い、プロパンガスだったために、ガスは使えました。
同じ町内でも都市ガスはすべて、この後長期にわたってとまってしまったので、
プロパンガスだったことは不幸中の幸いでした。
不安な気持ちで、ガスで牛乳をあたため、冷たい食パンを食べました。   つづく