片付けられないおばあちゃんの過去と哀しみ。

【片付けられない症候群】というのはれっきとした病気として認知されています。
これとは別に、ゴミ屋敷や汚宅などの報道では過去の悲しいできごとや思い出が心のキズやトラウマとなって掃除ができない、モノが捨てられない、さらにはどんどん無気力になっていったという方達の事例もよく紹介されていますよね。

では義祖母の場合はどうかと考えてみました。
旦那が子どもの頃は、祖父母、両親、5人兄弟姉妹の合計9人家族で暮らしていました。また最盛期には、まだ未婚だった義父の弟妹や自営業の従業員なども同居していて十数人の大家族だったそうです。義祖母は、大きな家で義母と共にこの大家族を切り盛りしていたのです。
それが今では、長男と嫁にあたる旦那の両親を相次いで亡くし従業員も去り、夫を見送り、孫達はそれぞれに家庭を持って独立。小さな借家で一人暮らしの身となってしまったのです。

それでも昔のままの買い物癖が直らず、絶対に使い切れないほどの日用品や消耗品、食料品を大量に買い込んでしまうようです。4人家族の私でさえ手を出さないような巨大なお得用サイズやお買い得増量パックとかをドカドカッと毎日のように次々と。

また、近所のスーパーやその店先に不定期に開店する行商、雑貨店やブティックなどなどに出かけては店員さんとしゃべること、そこで買い物をすること、そして「ありがとう」と喜ばれ感謝されることが何よりも楽しい時間のようなのです。

にぎやかな大家族のために忙しく立ち働いていた毎日。
成功した息子、小さな孫達に囲まれて頼られ、必要とされていた充実した時間。
外車や大きな犬のいる、町内でも有数の大きな家に住み、裕福だった過去。
そんな思い出の中と、現在の義祖母の‘家’‘生活’・・・‘人生’のギャップの大きさが、汚宅の原因のひとつであることは間違いないように思えます。